昭和27年(1952)の文福堂印房①

昭和27年(1952)の文福堂

私がこの写真を発掘?したのはつい2年ほど前のことです。

左に立つ磯野波平ソックリの男性は当店創業者・松崎 猛(祖父)、右のいかにも勝ち気そうな女性は末娘・七枝(母)です。そしてこの写真を撮影したのは猛の長男・松崎 弥太郎かと推測されます。(弥太郎はその後、私が生まれる前に非業の死を遂げました。このことについては後日、別項にて記します)

二人の軽装もあって、今見るとまるで海の家の如き雰囲気を醸し出している店構えですが(笑)、なにせまだ戦後ほどない時期のものですから無理もないでしょう。

それより、看板に「標札・ゴム印・名刺印刷」など取り扱い品目が大きく書かれているのが目を引きます。さらに横には「八の日特売」のぼりが風にたなびき、店のテント下にも「○○西口商店連合会」と読める紙らしきものがひらひらとしていて、なかなかの賑わい感を演出しています。

後に松崎家に婿養子に入ることになる父・秀夫は商売ベタで印鑑彫刻一筋の100%職人であったのに対し、こうしてみると創業者の祖父はなかなかの宣伝上手、商売人であったことがよくわかります。

となると三代目の私は、こと商売に関しては先代の父・秀夫ではなく、むしろ初代の祖父・猛の遺伝子を濃厚に受け継いでいるのかもしれません。

しかしそんな私の小さな命が右側の女性の腹中に宿るのは、この写真からなお7年も後のことになります。

【追記その1】
この写真を近く87歳とする老母・七枝に見せて
「この写真、憶えてる?」
と尋ねても、 もはや何の記憶も感慨もなし、時の流れはかくも非情です。

【追記その2】
実はこの写真、てっきり店が蒲田にあった当時のものかと思っていました。ところが今回このWebサイト制作に際し、確認のため拡大表示してよく見ると、テント下の紙には「大井西口商店連合会」と書かれていることを発見しました。ということはこの写真、昭和27年(1952)に店を蒲田から大井町に移転させた際、開店の記念に撮られたものだと推測できます。

ずっと後になって聞いた話ですが、当店が移転してきたとき、近所の店主たちは口々に「ハンコ屋さん、よくこんなところに移ってくる気になったね」と噂をしていたそうです。そこは以前から「元すり横丁」と呼ばれていた、およそ商売には向かない立地だったというのがその理由です。「元すり」というのは「店を開いたときの元手をスッてしまう」という意味です。

当店の長い苦難の道のりは、思えばこの昭和27年に始まり、今日まで連綿と続いてきたというわけですね、とほほ・・・。