手文庫に隠された封筒

松崎弥太郎の遺書

過日、とある事情で実家の片づけをしていて、
押入れのいちばん奥に、古びた手文庫を見つけました。

もしかしたらお宝発見? 期待に胸を膨らませつつ開けてみると、
中に入っていたのは1枚の封筒だけ。

表には「松崎 猛様」、裏には「長瀞にて 弥太郎」と、
青鉛筆で、少々乱れたように見える筆跡で書かれています。

長瀞とは、叔父が自ら死を選んだ地。

ということは、これは・・・!

そう思った途端、急に胸苦しさを覚え、呼吸も荒くなりました。

小刻みに震える両手を合わせて拝んだ後、
恐る恐る封筒から中身を取り出しました。

入っていたのは両親(私にとっては母方の祖父母)と
妹(私の母)に宛てた、2通のそれぞれ短い手紙。

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永らく家をあけご心配をおかけ致しました。

今さら何も申上る事もありません。
總て私が悪いのです。

先立つ不幸を何卒お許し願います。
御両親のご健康をお祈り致します。

   七月廿五日
          親不孝なる
                彌太郎拝

お父様
お母様

そう式はやらないで下さい。

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隨分心配をかけ申訳ありません。

婚期も近いのに馬鹿な事をして悪いとは知りつつ、
今に私の心をわかる時があると思ふ。

お父さん・お母さんに私の分もよくつくしてください。
ではお身大切に強く生きてください。

   七月廿五日
                 彌太郎
七枝殿

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これで叔父の命日が昭和29年(1954)7月25日であるとわかりました。

しかし叔父がこのような手紙を遺していたとは、
今の今まで知りませんでした。
それ以上に、ある日突然、叔父の代わり果てた姿とともに
この手紙を読まされたときの祖父母や母の心情を慮ると、
まったく、言葉もありません。

そこにどんな理由や事情があったにせよ、自ら命を絶つという行為が、
特にその命を授けた両親のその後の人生に、どれほどのダメージを与えるか。
当事者であった叔父にはとてもそこまで考え至る余裕がなかったのでしょう。

その後の祖父は、倉方信男さんの証言にもあるとおり、
住み込み弟子の彼はおろか、娘婿の秀夫さえ信用しようとしませんでした。
祖父が生来そのように猜疑心溢れる人物だったとはどうしても思えず、
信頼していた最愛の息子に、ある意味裏切られたという衝撃が、
徐々に彼の精神を蝕んでいった結果としか考えられません。
一方の祖母についても、気弱な女性という印象しか残っていません。

かく言う私自身も子供心に常に祖父を恐れていて、
そのことがひいては、
他人の顔色を窺うかのごとき臆病な人格の形成を助長した、
と言えないこともありません。

弥太郎叔父の死は、こうして遺された家族に後々まで深刻な影響を与えました。
そしてそれから長い間、弥太郎叔父について語ることはタブーとされ、
今振り返ると、それはどことなく家庭内に暗い影を落としていたように思えます。

私事ですが、もう25年以上も前、とある私的なトラブルを起こしました。
それにより勤務先を去ることになり、多くいた友人も目の前から消えました。

家族の中には当然私に批判的な言動を浴びせる者もいましたが、
そんなときでも両親は決して私を責めるようなことはしませんでした。

当時の私はまだ弥太郎叔父の死因を知らなかったので、
ただただ黙って私を見守っていてくれる父母をありがたいと思うのみでした。

その後しばらく経って、ふとしたことがきっかけで、
弥太郎叔父が実は自殺したことと、その原因を母から聞かされました。

そのとき母はこうも言いました。

「もしあのとき、私たちまでもが厳しく追い詰めたなら、
あなたはもしかしたら弥太郎兄さんのように自ら死を絶ってしまうかもしれない。
それが怖かったから、あなたには何も言わないでおこうと、お父さんと話し合ったのよ」

渦中の私自身は、ただただその日その日を生き抜いていくのに精一杯で、
自ら人生の幕を閉じるという選択肢を考慮する余裕すらなかったのが実際のところですが、
あのとき両親の無言の励ましの奥底に、亡き叔父の影が浮かんでいたことを初めて知りました。

おかげで私はその後どうにか立ち直り、自らに課せられた責務を果たしつつ、
ほんの少しですが両親への罪滅ぼしもしてきたつもりです。

たとえ間接的にであっても叔父の死が影響してこの世に生を受け、
その35年後に訪れた人生最大のピンチも、結果的に叔父に助けられたと言えましょう。

そう考えると、今やわが心の中にいる弥太郎叔父に感謝するばかりです。


下の写真は昭和28年(1953)2月1日、すでに独立していた叔父が遊びにきたときのもの。
左から母・七枝、祖父・猛、祖母・イノ、そして叔父・弥太郎。
祖父・猛のここまでの満面の笑みはついぞ見たことがありませんでした。

「目の前にある平穏な日々を、どうかいつまでも大切に」

写真の中の4人は66年後の今日、優しく微笑みながら、私にそう語りかけてくれます。


昭和28年2月、北千住にて