読売新聞
■読売新聞オンライン「デイビッドさんは「出意美努」、シャノンさんは「謝暖」…「脱ハンコ」乗り越え海外展開に活路」
山梨県・市川三郷町に本社を置く原田晶光堂は、われわれハンコ専門店に素材やケースを卸売りする業者です。
その三代目社長・原田 弘氏は私の古くからの友人であり、この30年間、ともに励まし合い、アイデアを出し合いながら互いに切磋琢磨してきました。
2020年のコロナ禍を契機としたいわゆる「脱ハンコ」の流れは、同社の経営にも少なからぬ打撃を与えました。
しかし原田社長はそれ以前から海外に販路を築くという壮大なビジョンに果敢に邁進していて、これまでアメリカやオランダで開催された日本商材即売会に出展、大きな成果を上げてきました。
ハンコは山梨・市川三郷町のいわば地場産業というべきものであり、その衰退は地域経済の死活問題と言っても大げさではありません。
同社の海外戦略は地元でも大きな注目を集め、それはやがて読売新聞甲府支局の記者の目に留まります。
記者は「地場産業の復興」をテーマにした記事執筆を決意し、原田晶光堂・原田社長にインタビュー取材を申込みます。
そしてその取材中、記者が発した何気ない一言が、その後の当店を命運を左右することになるのです。
「ハンコ業界の中で、原田晶光堂の他に、積極的に海外戦略を行っている店や業者はありますか?」
そう聞かれた原田社長は即答します。
「東京に外国人観光客におみやげ用ハンコを製造販売している店がありますよ、店主は私の友人です」
翌日、当店はこの記者のインタビュー取材を受け、その数週間後に私たちの記事が読売新聞の紙面を大きく飾ります。
記事の前半2/3の部分を原田晶光堂の外国人ハンコ彫刻体験が占め、残る1/3で当店のデュアルハンコが、ありがたいことに写真入りで大きく掲載されました。
この後に相次ぐテレビ取材も、思えばこの新聞記事が発端でした。
あのとき原田社長がもしデュアルハンコに言及してくれなければ、今の当店はなかったかもしれません。
やはり持つべきは友人です、ありがとう弘っちゃん!