出没!アド街ック天国/テレビ東京
テレビ東京を代表する人気・長寿バラエティー番組「出没!アド街ック天国」からお声がけいただいたのは確か平成24年(2012)夏のことだったと記憶しています。
当時、父の店舗を兼ねた工房「秀碩の工房」は世田谷区奥沢から目黒・不動前に移転してすでに丸5年が経過していました。
目黒の名物と言えば「目黒のさんま祭り」、毎年9月に2つの異なる商店街が日にちとを場所を違えて2度開催する人気のイベントです。
そんな「目黒のさんま祭り」に合わせて「出没!アド街ック天国」が「目黒・大鳥神社」特集を企画、秀碩の工房がめでたく13位に選ばれました。
ほとんどが飲食店を占める中で物販店としては異例の扱いを受け、感激したのも記憶に新しいところです。
収録は2日間かけてじっくりと行われ、私はその2日目に少しだけ立ち会わせていただきました。
店舗奥の工房は実のところ足の踏み場もないほどで、とてもお目にかけるような状態ではありません。
したがって秀碩の彫刻作業風景の撮影は本来の工房ではなく、店舗の接客テーブルで行われました。
撮影クルーは彼が彫刻作業を行う接客テーブル近くの床の上に緩やかに円弧を描くレールを敷設し、その上をカメラが滑らかに移動しながら彫刻する秀碩をとらえるという構図を採用してくださいました。
そうして撮られた映像をテレビで観て、「レール撮影」の素晴しさ感動したの今も鮮明に覚えています。
上の3点目の写真がそのカットの一部です。
また、この収録に合わせて、秀碩は当時番組MCを務めていたテレビ東京を代表する人気女子アナウンサーのフルネーム印鑑を彫刻、番組内でその方に「私の名前のハンコを彫っていただきました」と、実物画像とともに紹介していただきました。
しかしその後ほどなくしてこの女子アナウンサーはめでたくご結婚、ということは改姓してもはや使えなくなった旧姓入りの印鑑はお蔵入りでしょうか?
それはともかく、この放送から2か月後に秀碩は緊急入院、半年後の平成15年(2013)3月には帰らぬ人となりました。
「秀碩の工房」不動前店舗も当然、営業終了を余儀なくされました。
折悪しくその翌4月には店舗物件の更新があるため、3月中に退去する必要に迫られました。
そこで私は毎夜自分の仕事が終わってから、主の居ない店舗兼工房で孤独な撤収作業を延々1か月にわたって行いました。
当時は毎夜の撤収作業が心身ともにかなりの負担になっていて、店を閉じることへの感慨をおぼえる余裕はまったくありませんでした。
しかし、いざ空っぽになった店を開け渡すときになって、店内の写真をほとんど撮っていなかったことに気がつきました。
父の晩年を色鮮やかに彩った、そして私の自信作でもあった店が、父の死とともにまさに砂上の楼閣のように消え去ってしった…。
しかし、はんこ専門店というよりはむしろギャラリーのような高級感溢れる「秀碩の工房」不動前店の様子は、この「出没!アド街ック天国」のおかげで、それも動画でしっかりと記録されています。
そしてそこには父・秀碩の最晩年の雄姿もしっかり遺されています。
ほんとうに、ありがたいことです。